【シン読解力とは何か?】“教科書が読めない子どもたち”への新しいアプローチ

【シン読解力とは何か?】“教科書が読めない子どもたち”への新しいアプローチ

はじめに:なぜ「シン読解力」が注目されているのか?

これまで「読解力」という言葉は、あまりに広く、あいまいに使われてきました。「国語が苦手」=「読解力がない」という短絡的な理解が広がる一方で、読解力が“どのような力なのか”について具体的に理解されることは少なかったのです。

新井紀子氏が提唱する「シン読解力(新・読解力)」は、こうした旧来的な読解観に対する再定義です。文学的感受性や感情移入による“行間を読む”といった読解ではなく、論理的・構造的に文章を読み解く力。つまり、意味を正確に理解し、筋道を立てて読み進める力です。

なぜ今それが必要なのか?その背景には、学校現場で深刻化する「教科書が読めない」問題があります。新井氏が示すように、子どもたちは“文章の内容が理解できていない”にもかかわらず、“読めているつもり”になっているケースが多く存在するのです。

さらにAI時代の到来により、「意味を正しく読む力=人間にしかできない能力」がより強く求められるようになりました。このような社会的背景から、「シン読解力」という新しい読みの力が注目を集めているのです。


シン読解力の定義と背景

● 新井紀子氏による定義

「シン読解力」とは、文字通り“新しい読解力”のことですが、単なる名称変更ではありません。従来の読解力が曖昧で主観的であったのに対し、新井氏の定義はきわめて明確です。

“読解力とは、文章を論理的に構造的に理解する力であり、感情移入や共感とは別の能力である。”

この定義の中核にあるのが、「論理的整合性」と「構文の理解」です。つまり、文章の構造(主語と述語、修飾語と被修飾語、因果関係など)を読み取り、その意味を正確に解釈する力こそが読解力の本質だとしています。

● 「学習言語」と「生活言語」の違い

この議論の中で重要になるのが、「生活言語」と「学習言語」という2つの言語能力の区別です。

  • 生活言語:日常会話で使われる、直感的で感情的な言葉。文脈に依存しても理解しやすい。
  • 学習言語:教科書・新聞・報告書などで使われる、文脈に依存しない精緻で論理的な言語。

多くの子どもは家庭で生活言語に囲まれて育ちますが、教科書や学力テストが求めるのは学習言語です。このギャップが、“読めていないのに読めているように見える”という誤解を生んでいるのです。

シン読解力は、この「学習言語」を読む力に直結します。つまり、教科書を正しく読み、学習内容を理解するための言語的リテラシーなのです。

● 自己完結的な文章とは何か

新井氏が特に重視するのが、「自己完結的な文章を読む力」です。これは、“文章の中だけで意味が完結している文章”のことです。小説のように登場人物の気持ちを想像するのではなく、文章内の情報だけを手がかりにして、意味を正確に読み取る文章です。

例:

太郎は、次郎に比べて背が高い。したがって、二人のうちで背が低いのは次郎である。

このような文に対して、「背が低いのは誰か?」という問いに正確に答えるには、文中の論理構造を理解していなければなりません。

この「自己完結的な読解」ができないと、教科書の内容を理解することが困難になります。なぜなら、教科書の多くは説明的・論理的な文章で構成されており、読者に「文中の論理から結論を導き出す」ことを求めているからです。

シン読解力は、まさにこの“自己完結的な文章を論理的に読み解く力”を指します。


このように、「シン読解力」は単なる新しい言葉ではなく、教育・社会の変化を背景に登場した、明確で実践的な“新しい読みの理論”です。

次回以降は、こうした理論をもとに、どのように指導やトレーニングを行っていくのかをより具体的に紹介していきます。

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